<ぷち旅>
小田原 青色申告会 発行 青色NEWS WEB
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湯河原・真鶴エリア<真鶴>
真鶴・しとどの窟
 小田原から東海道線下りの電車に乗って約13分。車窓からの景色は広々とした相模湾と、初夏の緑豊かな山のコラボレーション。絶景です。海沿いに山肌を駆ける電車は、たびたびトンネルをくぐりながら爽やかな景色の中を走っていきます。
 今回のぷち旅の目的地は真鶴の「しとどの窟」です。かの有名な源頼朝氏が石橋山の戦いに敗れた後、敵の追っ手から逃れる為に、家来の土肥実平と共に一時的に身を隠していたという言い伝えが残されています。真鶴には他にも、追っ手から逃れた源頼朝氏が安房国へと出航した「祝い出の浜」(岩海岸)、その航海の無事を祈って土肥実平が舞いを舞ったことが由来の「うたい坂」など、彼らの勇敢な旅の足跡が、様々な場所に残っています。
 真鶴のしとどの窟は真鶴港の近くにあります。駅から町を走るバスに乗り、出発進行!のどかな町中の風景が流れて行くのを、バスに揺られながら楽しみます。やがて海の傍の道に出た港には、洒落たヨットから大漁旗を掲げる漁船、巨大な建設船と…大小様々の船が停泊しておりとても賑やか。バス停「魚市場」で下車し、潮風を胸いっぱいに吸い込みます。しとどの窟は魚市場バス停から徒歩3分ほど道を戻った所にあります。
 港に沿って道を歩き、遊覧船乗り場を過ぎた所で、道路を挟んだ向こうに赤い橋が見えます。到着したと思いきや、しとどの窟はその更に奥側、白いのぼり旗に守られるよう囲まれた内に、ひっそりと戸を構えていました。
 膝の高さほどしかない小さな穴。伝説では七人の男が身を隠したと言われているのですが…。源平合戦から八百年余りの長い歴史の間に、何度も落石などの災厄にあって、穴の大部分は塞がれてしまったそうです。
 小さくなってしまっても、この穴に隠れて源頼朝氏が九死に一生を得たのだと思うと、古い木の扉の奥から歴史の威厳を感じてか、ぶるりと震えてしまいました。
 周囲には、源頼朝氏を奉る小さな社と昭和後期に品川の台場より移された礎石があります。石材資源と航路に恵まれていた真鶴町。江戸の時代には、日本中の城や台場に、この町から大量の石材を出荷していました。品川の台場も真鶴で切り出された小松石で出来ていました。その小松石でしょうか、切り出したまま横たえられた巨大な石のテーブルと、それを取り囲む、同じく石の椅子。ちょっと固いですが、ひんやりとしていて気持ちが良かったです。
 さて、今回はバスに乗って目的地まで来たので、まだまだ元気が有り余っています。しとどの窟の周辺には魚市場、真鶴港、少し歩くと貴船神社が。もう一度バスに乗れば、ケープ真鶴や遠藤貝類博物館、中川一政美術館と、楽しい場所もまだまだ沢山あります。どこから行こうかなと悩んでいると、ふと腹の虫が鳴きました。「腹が減っては戦は出来ぬ」という先人の教えにならって、まずは腹ごしらえと意気込んでみたものの、真鶴港の周りには、新鮮魚介を楽しむお食事処も沢山あるのです。さてさて本当に、どこへ行ったら良いのやら。なんとも情けない理由で、私もしとどの窟から動けなくなりました。
清左エ門地獄










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